最後は自分。
何かのテストでいつもよりまあまあ良い結果だったと息子がいう。
何の努力もなしに良い結果ってのはあり得ないので
原因と結果の法則からすると、ま、間違いなく努力したのだろう。
ただ、称賛をおくるが、勘違いしたらアカンで…と釘を刺す。
自分ひとりが頑張ったから…っていうと、ちょっと、ちゃうぞ!だ。
勉強する教科書とかノートとか誰が買うてくれたんや?
勉強してて腹へった時に誰が飯を用意してくれたんや?
わからんところは先生とか誰かに教えてもらえへんかったか?
がんばろう!って刺激を受けた友達とかおらへんか?
なっ、よくよく考えたら、まわりの「おかげ」が凄いねん、ほんまは。
せやけど…そんなん忘れてな、俺がやったんや!ってなりがちやねん。
っていう風に 息子へ言ってるみたいだけど、実は自分に言い聞かせてて
この機会に「自分」ってのを見つめ直し、そう、肝に銘じたい。
このブログで何度も綴らせていただいているんだけど、
ホント思うのだ!「自分」の定義とは?である。
以前、ある先生に教えてもらい、ストンと落ちたのがこれ。
「自」は、私・我・己・個人・個性…といった意味で
「分」は、家族や会社、友人…また、地域、日本、地球…
そう、何かの一部分の「分」。それがくっついて「自分」なんだと。
だから、「分」のルールやマナーのもとで個性を発揮しなきゃいけなくて
自分勝手にすることは個性なんて言わず、「我まま」ってことで…
ほおぉぉ、なるほど!と。
ちっちゃい頃からそんな考え方なん?だけど、違うに決まっている。
どっちかっつうと、まさしく「俺が…俺が…」な自分だったように思う。
それが、家族ができるとどうだ、家族の一部分として…妻が…
いや、ま、その、息子が、「なぁ、心臓ちょうだいや!」って言えば
余裕で差し出すぐらい己より大切な存在なわけだから「自」なんて…
また、会社の社長だって同じことがいえよう…
会社の一部分として…「自」なんて後回し、後回しだし…
んっ、そういえば、世界で唯一?「自分」のない人がいらっしゃって
そう、天皇陛下は私がなく、いつでも我々国民の幸せをお祈りいただき、
日本の象徴…あっ、そうか、だから、日本人は「分」の意識が強い…
おっとっと、勝手な解釈で進めちゃって…話を戻すが、
さまざまな出来事や気づきによって「自分」について考え方が変わった。
いや、もうね、こんなことは言葉で説明されて理解できるもんではない。
考え方が変わることで、はじめて理解できたと言えよう。
「わかる」とは「かわる」って誰かの言い回しで、ほんま言い得て妙…
例えば、スポーツの金メダリストなんかは決まってこう言う。
「皆様の応援のおかげ…サポートの方々のおかげ…」と。
いやね、我々からしたら、あなたが血のにじむ努力をしたからやん!
とか思っちゃうし、実際に死ぬほど努力したからこその金メダルではないか。
ところが、金メダルを手にした瞬間、さまざまな気づきから景色が変わるのか
「分」であるたくさんの方々のおかげということが、わかるみたいな…
うーん…盛大なネタフリはこれぐらいにしておこう。
こんなしょうもないブログに、天皇陛下まで…「分」をわきまえろ!って
怒られる…申し訳ございません。日本人として生まれ、心から誇りに思う。
いやー、あのですね、1000話っす、1000話、記念すべきね、ええ。
振り返れば、自分ひとりの力ではとてもとても…と実感する。
ブログのきっかけをくれた師匠にシステム設定してくれた友人。
ネタにさせていただいた家族や愛すべきおかあさんなどたくさんの方々。
そもそも、お買物に来店されるお客様がいらっしゃるからできるし、
それに伴い、スタッフやお取引様ががんばってくれているからこそ。
そして、たったひとりでも読んでくださる方がいらっしゃるから…
じゃなかったら、こんな1000話までね、ようせんわ!である。
ほんと、皆様のおかげしかない…ありがとうございます。
最後に、さまざまな一部分でしかないちっぽけな私ではあるが、
何にしても最終的に決めるのはすべて「自分」だということ。
周りのせいにしないとかね、一方で、この感覚は大切にしたい。
なんやかんやいうても最後は自分である。
さて、皆様において「自分」とは?
えーっと、あれっ、なんか終わるみたいだけど、まだ続けまっせ!
次回から一気に日常へ戻りますので、はい。
2023/11/14
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