定義。

声がでかい。

周りからよく言われる。

これは、剣道を習っていた時に恩師から

「隣の声が聞こえないぐらいに声を出せ!」

なんて、叩き込まれたのに他ならない。

だから、挨拶の声なんかも自然とでかくなってるようだ。

いや、まあ、ねっ、意識してるわけでもないが、

どっちかっつうと、挨拶はでかい方がええんちゃうん?である。

営業に来た取引先さまも「いつも元気っすね」と。

「別に、簡単やん。でかい声で言うたらええねん」

「いや、そうなんですけど、それが、なかなかできないんっすよ」

えっ、なんで?言うだけやで、言うたら?である。

…なんてことをだ、悪気なんてまったくないんだけど、

思ってるだけでいいのに、どこか強要してる感じになってて

みんながみんな私と同じ考えではないし、

なんやったら「うるさいねん」とマイナスに働くことだってあるし、

アカン、ちょっと、イキってたかな…と反省している。

そもそも私の挨拶の定義ってのは「命のやりとり」。

例えば、「おはよう」って言葉にはそんなに意味はなくって

「今日、私はこれだけ元気っす!あなたは?」の意といった具合だ。

いや、武士か!である。

令和の時代に、なんちゅう考えやねん!と言われても仕方がない…。

で、まあ、これを機に、スタッフといっしょに仕事をするにあたってね

社内で様々な定義づけって必要なんじゃ…なんて考えたりしている。

もちろん、私が強要するんじゃなくて

皆で考えてその定義を共有していきたいな…と。

というのも、仕事の定義を

「1時間働けば時給〇〇円」って考えるスタッフがいる一方で

「皆が円滑に仕事ができるように…」って考えるスタッフがいると、

同じ仕事でも仕上がりが全然違うんちゃうやん?になりそうで、ええ。

仕事に限らず、えげつないスピードで世の中が激変するなか

私の考えが良いとか悪いとかそんなん言ってるじゃなく、

この変化に対応すべく、様々な意見を受け入れられるぐらいのね

器を大きくせなアカンな…と、器がちっちゃいわ、ちいせぇ。

よしっ、まずは、アルバイトの若い女の子の意見を聞こう。

えっ、な、なんて?カエル化現象?なんやそれ?

なになに…ええなぁ思ってた人に食事に誘われて会計の時に

カバンから財布を出すのを見た瞬間、萎えてしまう…なんでや?

トイレとか行ってる間にしれっと済ましておいてほしいんかいな…

えっ、イートインとかでキョロキョロ席を探すのもアカンの?

店員さんに「あのーすいません」の声を無視されてるのも見たない?

ちょ、ちょっと待ってくれ!どないなってんねん…

令和の若い女性が求めるイケてる男性の定義って、えぐない?

よかったー昭和で。

息子たちよ、ヤバいぞ。

共有できるか?

イートインとかでキョロキョロすなよ。

オノレのためにちょっとでもええとこ座ったろ思て探しとんねん!

とか、わからんけど、通用せえへんぞ、たぶん。

もうアカン思たら、いっそのこと地べた座って手で食え。

器を大きせなアカンけど…、わけわからんわ。

2023.01.30

よろしくお願い致します。

サクッと明けちゃいました、2023。

遅なりましたが、おめでとうございます!

本年もどうぞよろしくお願いします。

えーっと、ま、お休みをいただいて、久しぶりにボケーっとね

コタツに入ってミカンでも食べながらテレビに目をやるとだ

もうええやろ、やめいよ!の戦争のニュースが流れている。

ちょっと、ほんま、正月やで、なにしてんねん!

しかも、打ち込まれたミサイルには、目を疑ったんだけど、

「ハッピーニューイヤー」と書かれているというではないか。

もうね、人の所業とは思えん…鬼やな、ガチの!である。

ほんでもって、中国も、なんかね、きな臭い感じやし…。

ほんまに平和が訪れることを切に思う。

そう、話は変わって、日本では?の映像が流れる。

一般参賀のあの風景、3年ぶりらしく愛子さまもいらっしゃる。

いや、なんやろう、寝っ転がってたけど、正座したわ…である。

というのも、海の向こうではえげつない状況なのに

私はと言えば、コタツでぬくぬくと のん気にミカンまで食べてて

この差ってのは、なんなんやろう?って思うと、

気をつけなければ、すぐに忘れちゃうんだけどね、

たくさんの先人のおかげで…なかでも、この皇室という文化は

素晴らしいものなんやろな…なんて改めて感じたわけ。

世界に類を見ない国家であって、

皇紀ってのは2680年とかそんなんでしょ…ヤバいっす。

テレビ越しではあるが、正座してお祝いさせていただくとともに

何の憂いもなく、のん気にミカンを食べてる今に至っているのは

それはもう、天皇のもと日本を築いてくれた先人たちが

後からくる我々の為にえげつない量で徳を積んでくれたから。

そう、それはそれは、あまりの量で余っちゃった徳のおかげなのだ。

企業も然り。

もちろん、現在頑張ってくれているスタッフやお取引様

そして、そして、たくさんのお客様のおかげで

営業させていただいているのは間違いないんだけど、

先代や関わった方々の積善のおかげでもあるのだ。

うーん、さっきまで甘かったミカンが

酸味が効きだして背筋がシャンッ!となった次第である。

感謝の気持ちを忘れずに

2023も頑張っていこ…う…んっ、えっ、誰の為に?

そうそう…だいぶ大きなったけど、私にはジャリが3人いる。

私の行動ひとつで、彼らの見られ方ってのは

めちゃくちゃ影響されるし、未来が随分と変わってくる。

悪ければ「ちっ、アイツんとこのクソガキか」で

善ければ「あー!あの人の御子か」ってな具合に。

じゃあ、どない考えたって善い方がいいに決まっている。

ま、うちの子供のためだけとか小さいこと言わず、

後からくる次世代のために徳を積んでいかなければならない。

それも余るぐらいに。

おっしゃ、2023も頑張っていきましょう!

改めまして 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2023/01/11

ありがとうございました。

うーん、さらっと終わっちゃいそうですね、2022。

あれだけ荒れに荒れ倒した一年だったのに…、ほんまにぃ。

コロナだけでもえらいこっちゃ!いうてるのに

ウクライナ侵攻がはじまって、どえらいこっちゃ!にレベルアップ…

で、まだ両方とも終わらんいうねんから、どないなっとんねん!である。

2023は、さすがにね、落ち着いていただきたい。

ホント、世界中がむちゃくちゃになっちゃったわけだから

もうね、だいたいの人が思ってるはず、変わんなきゃって。

良い方向に変わってくれたら…なんてお願いベースじゃなくって

だって、マジで変わらなヤバイやろ!ってレベルで 変わんなきゃ!だ。

ってことはだ、皆がそう思ってんなら2023は間違いなく変わる。

まあね、こんなことを綴ると、そんなことぐらいわかってるよ!

つったりするのだが、えっ、あれ、ほんまにわかってるのだろうか。

よくね、子供に対して「大人になったらわかるわ!」

みたいなことを言ったりするけど…うーん、さて、「わかる」とは?

あっ、そうか!なるほど、「わかる」とは「かわる」なのだ。

子供の時に、「小芋の炊いたん」とか食卓に並んでると

「おいおいおいっ、こんなんで力出えへんやんけ!うえっ…」

なんてね、母の想いとか無視して、げんなりしたもんだが、

大人になると、なんかね、いろいろ変わってきちゃって…

小芋なんてもんは、旨いとか通り越して、もうね、ほっとする。

イカといっしょに炊いてもらってね…あー、ええわ!

「KOIMO NO TITAN」って壮大な映画ができるくらい…。

なのに、私は、子供の頃、小芋のポテンシャルを何もわかってなかった。

だが、今ならわかる。

旬ってのを考慮したり、食事のバランスを考えたり、背景までみえて

そう、あれは、ただの「小芋の炊いたん」ではなかったのだ。

それを、「うえっ」とか言ったりして…オカン、すまん!である。

いや、まあ-、その、小芋小芋と…ちょっとしつこくて申し訳ない。

小芋に限らずね、実は、わかったつもりでわかってないことが多いかも。

そう、変わらないとわかったと言えないのだ。

だからこそ、2023は変わらざるを得ない状況まで追い込んで

「あっ、なるほど!やっと、わかったわ」って言える年にしたい。

だらだらと綴ってきて、結局、何が言いたいのかと申しますと…

いや、ちゃうんねん、マスクっす、マスク…もう、ええやん!である。

ほんま嫌やわぁ…ねっ、変わっていきましょう!

さてさて、今年一年、本当にお世話になりました。

新しいお店を出店して、本当に多くの方々に

助けていただいていることを実感し、体感することで

我々の会社も大きく変わってきたように思います。

お客様はもちろん、お取引様、スタッフのみなさん

たくさんのご支援、心より感謝申し上げます。

皆様にとって来年も良き一年でありますよう祈念申し上げます。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

2023/12/28

真善美。

ちょっと、いや、まあまあバタバタすることがあって

ブログの更新が滞りすぎちゃって「やばっ」なんて

慌ててパソコンの前に座り、えーっと…と頭フル回転の結果

とりあえず、今年、寅年ってことで年男だったんだけど、

ほんで、どないやってん?なんて、ベタに振り返ってみる。

ま、あれこれといろいろあったったなかで

なんやかんやいうても「羽衣店」というのがすべてだった。

いや、なんつうの、新しいお店に注力したというわけではなく、

それによって従業員数が増えたり、お取引様も増えたり

想像以上に「人」ってのがキーワードになっていた。

ほんまに新しいご縁をたくさんいただいた一年だったように思う。

で、出店による新しいお客様とのご縁ってのがホント何よりで

先日も、羽衣店でむちゃくちゃ嬉しい声をかけてくれた。

「ほんま、よう来てくれたわ…ありがとうな」と。

いやね、新しい事業をするってスゲー量のエネルギーを使うわけ。

ま、お金もなんだけど、いろんなこと考えたり、準備したり。

で、当たり前のように計画したことが思い通りに進められるわけもなく、

おいおいおいっ、ちょっと、大丈夫かいな…なんて眠れる夜も。

そんななか、上記のような愛すべきお客様の声ですべてが報われる。

「かあぁぁぁ…、や、やってよかった…」なのだ。

だから、えっ?なんで わざわざ漢字に…しかも、一文字なん?

なんだけど、ま、私自身は今年を漢字で表すと「縁」だ。

そもそも、その「羽衣店出店」もあるご縁によって拓かれている。

そして、さらには、数々の新しいご縁が生まれたことによって

来年も新しいことにチャレンジしていくぞ!と計画を進めている。

「新しいこと…へぇ、ええやん!ところで、何の為に?」

そう、これなのだ、これ、スゲー大切にしなきゃいけない。

いやね、今、私のなかでブームになってるのが「真善美」。

何が真実で 何が善いことで 何が美しいのか。

特に最後の「美」ってやつ、新しいことってアートなの?みたいなね。

ちゃうんっすよ、サッカーのワールドカップ、見ました?

いろんなとこで、美しいシーンが盛りだくさんでめっちゃよかった、うん。

例えば、森保監督のお辞儀のシーンとか、

お辞儀の文化がない国の方まで「美しい」つってるわけだから。

善と美ってのはニコイチなんやな…なんて思ったりしてると

そう、「真善美」ってのは経営においても根幹になければ…つうこと。

なのにね、現実では、岸田さんが防衛費っていうの、で、増税?

ってか、増税されるのが嫌で綴っているわけではない。

そりゃね、必要なことなんでしょうけど、なんかね、

何の為に?がアートじゃないわぁ…って感じるわけ。

いや、もう、サッカー見ました?皆、仲良しやったのに…である。

ま、そんな知識のない人間があーだこーだ言ったって仕方がない。

とにかく、我々ができることを一生懸命取り組んでいくのみである。

今、マイブームの「真善美」を胸に。

2022/12/22

なにわ女の心意気。

コロナでおとなしくしていた愛すべきおかあさん方が、

石をどかした時の虫の動きみたいな表現で申し訳ないが、

ガサガサっとね、動きが活発になってきたように感じる。

そう、本来の感覚を取り戻しつつあるのだ。

長い間、人と接することはタブーみたいな、そんな感じで

律儀にマスクも忘れず、殻に閉じこもっていたのだが、

さすがにもう限界や!と言わんばかりにグイグイ話しかけてくる。

いやね、ま、たまたまなんだけど、先日、久しぶりに

連発の「にいちゃん!」ラッシュが凄まじかったので

今こうしてブログを綴らせていただいているわけだ。

「にいちゃん、ごめん、ごめん、堪忍やで!おおきにな、ありがとう…」

家に帰ってから店で忘れ物をしたことに気づいたものの

取りに行かな…せやけど、足が悪いから…どないしよ?という電話があり、

どないしよ?って…ほ、ほな、持っていくわ!と届けに向かい

玄関のドアを開けた瞬間、矢継ぎ早に謝罪と感謝の言葉がマシンガンのごとく…。

「かまへんよ。ほな、気ぃつけてや」って帰ろうとするのを

「にいちゃん!ちょっと、待ちぃな!ほれ、ええもん、やろさ」と遮る。

ええもんって、どうせ、アレやろ、飴ちゃうん…って、ほらっ飴やん!である。

「中に落花生入ってて旨いでぇ。こんなん、今まで知らんかったわ」

嘘やろ、だいぶ昔からやで…よう出会わんと今まですり抜けてきたなぁである。

で、家の前で飴の話をしていると、隣の家のドアが開く。

「やっぱり、にいちゃんかいな!にいちゃんの声するなぁ思たんや…

なんや頑張ってるんやってな。せや、あんた、ええもん、あげるわ」と、また。

ええもんって、また、飴…ってか、ほ、ほんまに ええもんやん!である。

 「アカン、アカン、アカン!って。孫さんにあげよう思てたんちゃうん?」

「ええがな。あんた、孫みたいなもんやんか。食べ、食べ」と。

孫って…48やで…である。

しかし、どんだけ「愛すべき」やねん…。

店に帰れば、また別のおかあさんが駆け寄ってくる。

「にいちゃん!ちょうどええわ、これ、おかあちゃんに渡しといて」と。

んっ…なんや、これ?何を入れるんか知らんけど、便利な小粋な小袋…

えっ、ブランドもん?SHI…GE…KOって オカンの名前かい!である。

こんなん作るのが趣味やいうたとて…オカンのために…わざわざ…

愛すべきおかあさん方々、ほんまにありがとうございます!である。

コロナで人と接しないから、自分のために自分で…ばかりの行動で、

結果、「ひとり焼肉」とか「ひとりキャンプ」とか“自分”が多くなったのかな?

うーん、たまにはええけど、やっぱ、人ってのは“ひとり”じゃあ…ねぇ…

どこで手に入れるんだかまったく見当もつかない虎とかの服着て

気軽に声かけるおかあさん方を見習い、どんどん人と関わらな…である。

妻よ、おまえのカバンにも飴とかぎょうさん忍ばせとけよ。

貰いっぱなしも嫌やし、誰かに受けた恩を送らなアカンからな。

飴ちゃんって名の「なにわ女の心意気」は、ちゃんと受け継ぐように。

2022/11/29

活動報告2。

気候変動によって大災害が日本に限らず、世界各地で相次いでいる。

ニュースで知って「えげつないやないかい!」のひとつ、パキスタン。

大洪水で国土の1/3が水没したらしい。

で、これは「天災」とかじゃなくって、先進国が招いた悪事の結果みたいな…

っつうことで、経済的に大きな負担を負わなければならない…という。

ま、割振りや方法とかはアレやけど、とりあえず、皆で助け合わないと…

って話がまとまったのはええとして、せやけど、今後、ど、どないする?

について、温室効果ガス削減に向けての各国の具体策ってのは…

いや、もう、ヤバいね、マジで…である。

「あんたさぁ、ヤバいヤバい 言うけど、何かしてるんかいな?」

なんて問われれば、たしかにね、

言うだけとか思うだけってのは誰でもできるわけで、

とにかく、微力のなかの微力ながら実践させていただこうと

私だけでなく、愛すべきお客様といっしょに活動している。

どちらにも関係のある「農業」がええんとちゃうかなって…

ええ、そう、「FOR THE GREEN EARTH」の活動報告2である。

農業は、人間の生命の維持に欠くことができない食料を生産する

極めて重要な産業ではあるが、環境とめっちゃ関わってるからね、

ただ、漠然と実施してはいけないことを忘れずに!だ。

農家さんとゴリゴリに連携してしっかりと進めていきたい。

先日も、「ぶどう園」を運営している農家さんとお話させていただいて

また新たな取り組みができるのではないかと期待している。

しかし、農家さんってのは、アレだね、アチーね、熱い、魂が。

っていうか、熱い人やないと、難しいのでは…とか思っちゃう。

ちょっと収穫をお手伝いしたが、そりゃあもう、大変なわけ。

皆が皆ね、思い通りの形にできればええけど、そんなわけないし、

虫とか鳥とか…ほんで、たまに人間までもが無断で獲りにくるし、

変な天気が続けば、「はあぁぁ…」ってため息がでる結果になるし、

もう、やってられるかい!ってさじを投げたくもなるってもんだ。

で、思うのは、やっぱ体感しない限りわからないってこと、大変さが。

私自身も、この活動を通じて痛感する。

うちの3匹のジャリにおいても、妻が一生懸命作った飯に対して

「あれいらん、これいらん」とか平気でぬかしてけつかるから、

「ワレ、こらっ、どつき回したろか!いや、畑、放り込んだる!」である。

いっぺん、やってみぃ!農家さんの仕事、どんだけ大変か…。

ほんまにね、土に触れるだけでなく、風や太陽といったものにも触れ、

どうやって作物ができるのかを体感する必要があるのでは…である。

今や、スマホで「農業」って調べれば、いくらでも情報が手に入るだろう。

わかっているつもりかもしれないが…

いやいやいや…んなもんで何がわかんねん!だ。

愛すべきお客様といっしょにこの活動を実践していくなか

いずれ、子供たちとかへ「体験」まで提供できるようになるまで

持続可能で進めていきたいと思う。

すべては、緑の地球のために…。

2022/11/21

衝動。

先日、小学校の給食献立を協議する会議に参加した。

組み立てる基準として「予算」「栄養」「美味しさ」…の順ってのを感じる。

物価高のなか、本当に大変な仕事やなぁ…と実感すると同時に

我々も小学校の時に、こんな風に誰かが考えてくれてたんやなぁ…

なんてね、時空を超えて恩恵を受け取った素敵な時間だった。

で、ま、前述した3つだけで構成するんじゃなくて

この献立を考えるチーム?っていうのかな、凄いのね、情熱が。

「授業で…堺の昆布は…北前船が…だからその日 とろろ昆布を…」とか

「昭和の給食 くじらを…」「グローバルだから 韓国料理を…」とか

食の文化なんかも考慮して「食育」がえげつないほど組み込まれている。

率直に「スゲーな…ただ、それ、生徒に伝わります?」って思った。

んっ、伝わらないかもなのに…なぜ?で考えた結果、

私が行き着いた答えってのが「衝動」と「祈り」である。

「子供たちに こうしてあげたいねん!」という抑えられない衝動と

「いつかどこかでわかってくれたら嬉しいわ」という祈りなのだ、たぶん。

美味しく食べてもらうために 6軒のお店の味を食べ比べたという。

「予算」や「栄養」を無視して実践されていたら何の意味もないんだけど、

それを大前提に(だから自腹だろう…たぶん)衝動と祈りが突き動かす。

うーん、どうか伝わってくれぇいと、祈らずにおられへんわ!である。

さて、食に関するビジネスにおいて同じように考えたところ

「価格(業績も含む)」「美味しさ」あと、栄養?品質?ま、他たくさん…かな。

特に「価格」ってのがやっかいで、行き過ぎるとだ、なんつうの

回転寿司が良い例だろう…各社 何かとニュースになっていたような気が…。

安価で美味しいお寿司を提供されていて、凄い仕組み!って驚いているのに

競争が激化するにつれ、今のままじゃあダメだ!もっと!もっと!なのだろう。

結果、「儲かる儲からない」軸が強くなりすぎて、本来の経済成長の意味が…。

で、私も食に関する仕事をしているから、「価格」「美味しさ」は大前提のうえで

生き残っていくにはだ、もしかしたら「衝動」とかってめっちゃ大切ちゃうかな?

そんなことを、一昨日、東京へ行った帰りの新幹線で強く感じた。

いやね、高校時代の友人が転勤でメキシコへ行くっていう連絡があって

もう、なかなか会われへんな…と、ただそれだけの理由で東京へ会いにいく。

わざわざそれだけで行くのはもったいないから…などの損得勘定とか関係なしに

人間として根底にある「会いたい」的な…キ、キモいけど、「衝動」で動いたのだ。

で、皆でワイワイと会話を楽しむ食事なら、そりゃあもう、飯も酒も旨いわけ。

美味しく料理してくれた人の腕ってのもあるんだけど、

「人間として根底にある衝動」は、見事に「美味しい」に直結してたなぁ…

なんてことをだ、新幹線の窓から見える富士山を眺めながら

「綺麗なぁぁぁ… の、登りてぇ…」という衝動に駆られつつ、思った。

ってか、そもそも「衝動」ってのを大切にした方が、

ビジネスもだけど、人生、そっちの方が断然おもろいやん!きっと。

そんな発想に辿りつく機会を持てたのは、まぎれもなく彼のおかげで

損得勘定関係なしとはいえ、損か得かといえば、結果、絶対 得だ。

なるほど、つまり、「衝動」を一番にすることがビジネス界の未来を救うかも…。

JRにしても、乗るはずのなかった私が新幹線に乗ったわけだし、ほらぁ。

なにわともあれ、治安が悪いらしいから彼の無事、そして、活躍を祈っている。

いつかわかんないけど、帰ってきたら、また会おうぜ!である。

2022/11/07

56周年。

1年前に羽衣店を出店させていただいて気づいたこと。

それは、羽衣店の近くでお住まいなのに、御陵前店までお買物へ

来店されていた愛すべきお客様がたくさんいらっしゃったこと。

それも、随分と昔々っから、長―いこと、ずっと、わざわざ、はい。

「車、運転でけへんから、自転車で行くねん」の凄まじいパターンも…。

えー!遠いのに…自転車で、マジか?くー、めちゃくちゃありがたい。

でもって、「自転車やから、そない行かれへんねん、ごめんな」って。

いやいやいやいやいやいや、謝るって…どんだけ愛すべきやねん…。

こっちが、なんか、すんません…ありがとうございます!である。

そんな方々に羽衣店でお会いして「あれ、こっち?」ってご挨拶すると

「近なって、ほんま助かってるで」とか

「近いから、もう、こっちばっかりや」とか、お声がけいただく。

で、まあ、出店も喜んでいただけて良かったぁ…なんてね、

嬉しいお言葉に感謝しつつ、意気揚々と御陵前店で作業していると

次の日とかに、「よう会うなぁ。今日はこっちか?」と、そのお客様から。

「なんかな、やっぱりな、たまに御陵前に来てまうねん…」

慣れ親しんだお店で、目つむってでも買物できるわ!とのこと。

アカン…ほんまに涙ちょちょぎれるわ…である。

そんな愛すべきおかあさん方々に応援していただいて

御陵前店は56周年になる。

こんなに長く営業できるのも、羽衣へ出店できたのも、

すべては愛すべきおかあさんのおかげ!すべてはここから…である。

心より ほんまに心より 感謝申し上げます!

しかし、羽衣店が1年ってのと比較すると、56年って…ヤ、ヤバいな。

この長い間、今もここにお店が存在するということは、何かしら意味がある。

うーん、企業とは?で調べたりすると…

営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う…どうたらこうたら。

なるほど、企業としてこれを実践できれば、56年も存続できている…の…

んっ?じゃあ、そもそもなぜ経済成長をし続けなければならないのか?

たぶん「より豊かなより良い暮らしができるから」とかだろう。

じゃあ、なぜ良い暮らしをしなければならないのか?

その方が皆が幸せになるから…の答えになるんだろうけど、それならばだ

あまりにも良くないニュースが耳に入りすぎる…いったい経済活動って…。

ま、ゴリゴリの資本主義的な思考では「営利を目的と…」ってなるし、

決して間違いではないんだけど、意味とか意義とかが枯渇してるように思う。

今日もお客様同士が「おはよう」「あー元気?」なんて店内でお話されるのを

横で見ていると、それだけでお店の存在意義は凄く大きいものと感じた。

4人に1人は独居高齢者というような時代で、スーパーマーケットってのは

ただただ食材を購入できる空間だけでは意味がないように思うからだ。

しかし、話をするだけなら公園だっていいわけで、今度はスーパーの意味がない。

なので、食材を提供して、お客様が喜んでくれたり、お役に立てるように…と

お取引様とスタッフ達が取り組んでくれているからこそ意味が見いだせる。

お客様だけでなく、たくさんの方々に支えられての56年か…

皆々様、本当にありがとうございます!

「皆が幸せに」…うーん、なんか、できるはずなんやろうけどなぁ。

56周年を機に「パーパス経営」をより邁進いたします!

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

2022/10/24

名前。

知り合いに赤ちゃんが生まれ、名前を何にしようか悩むという。

確かにめっちゃムズいわな…なんて、昔を懐かしむ。

そう、こんな私でも過去に3回も経験した。

何が難しいって、縛りとかないから自由過ぎて逆に…ってのと

「良い名前」なんていう正解みたいなのがないこと。

でもって、私があーだこーだ考え抜いて出した名前も

妻が気に入らなかったら、簡単にふりだしへ戻る…だ。

間違いないのは、どれだけ考えたかという時間であったり、

その名前に行き着くプロセスとかは、めちゃくちゃ大事…たぶん。

まあ、精一杯、悩んで悩んで悩み抜いていただきたい。

名前と言えば、あのですね、ま、自分で言うのもアレなんだけど、

私の引きの強さは、はっきり言ってえげつない。

いやね、三男坊の名前が凄まじい…いや、凄まじいものに変化したのだ。

振り返れば、3回目の名前会議は、荒れに荒れて混乱の極みだった。

3回目だからって、「これでええやん…」的な惰性の流れだけにはしたくない!

何なら兄貴たち以上の名前を用意してあげたい!そんな義務感に駆られ、

長男や次男の名前会議よりも高いレベルでディスカッションを…と意気込んだ。

しかし、状況といえば、堺駅南口店を出店したドンピシャのタイミングで

会社の運営に脳みそが持っていかれて、子の名前どころではない。

資金繰りをどないしよか…名前をどないしよか…

もうね、ごちゃ混ぜになって「金満はどう?」と妻に相談したぐらい。

で、妻の「ラ行がええかなぁ」っつう“なんやそれ案”を考慮し、

なんとか考え抜いて命名されたのが…「れいわ」である。

当初、私の親父は「けったいな名前やなぁ」と感じてたという。

そんな何でもない名前が4年前のある出来事で一変する。

そう、菅さんのこれ。

テレビの前で家族全員が、もれなくひっくり返った。

「えらいこっちゃ!」である。

当の本人は、事の重大さをまったく理解していない。

近所の方々から「おっ、れいわ元年やな!」などの祝福の声に対しても、

「元年とちゃうわ!俺、2年や!」なんて、小学校の学年と勘違いしたり、

あまりにイジられるもんだから、逆にうんざりしていたほど…。

そんな彼も、先日、堺駅南口店と同じ12歳になった。

来年、中学生になるにあたり、「友達できるかなぁ…」と。

いやいやいや…自己紹介で「平成生まれのれいわです」って言える

鬼のアドバンテージをどない思てんねん!である。

私も地方でプレゼンする時があれば、三男坊の写真を掲載し、

「れいわ生誕の地・堺からやってまいりました」という掴みに

君を存分に利用させていただいている。

ま、とにかく、これからの人生で損はないわ。

お誕生日おめでとう!

2022/10/19

プライスレス。

羽衣店の前にだんじりの車庫?ってのがあって

毎晩のように地域の方々が集まり、まさにお祭り騒ぎってやつ。

そう、お祭りが3年ぶりにやっと開催されるそうだ。

いや、もうね、若い子たちのエネルギーが爆発している。

太鼓と笛の音にのせて「そうりゃ!そうりゃ!」と声が響きわたる。

うーん、やっぱり、いいもんである。

で、まあ、コロナ禍でよく耳にした「経済を回す」ってのがあって

お祭りってのは、なんつうの、お金が動いてるのがよくわかる。

うちのお店にもビールやジュースを買いに来られるのだ。

いや、まあ、その、売れるから良い!と言ってるのではなく、

お金の向こう側に「人」が見えるから、なんかね、気持ちいいのね。

この長いコロナ禍でお金の価値ってのを考えさせられた。

例えば、さっきも綴ったけど、ジュースが売れた場合。

コロナ禍の時であれば、だいたいは自分のために購入される。

人と接する機会がないため、ま、そうなっちゃうんだけど、

ジュースが100円であれば、等価交換のため100円は100円だ。

で、このお祭り時に購入される場合、もちろん、自分のためもあるけど、

先輩が後輩に奢ってあげてたり、

おばちゃん達が差し入れしてあげてたり、

お金の向こうに「人」が見え隠れすると、同じ100円なんだけど、

なんかね、100円じゃなくてもっと大きな価値があるように感じる。

だから、「100円渡すから好きなジュースを自分で買ってこい」的なね、

合理的みたいな効率とかを考慮してほしくないなぁ…って思っちゃう。

時には「カルピス飲みたかったのに、お茶かい…」ってこともあるだろう。

でも、ええやん!そのお茶には人の想いが入ってんねん!

わざわざ言いにいくことはしないが、「届け、その想い!」である。

んっ?いらんもんを貰うよりも、お金で貰った方が…って?

いや、そうやねん!ホント、自分で選んだ方が良かったりすんねんけど、

100円は100円でそれ以上もそれ以下もないねん!100円やねん。

ほんまはカルピスがええのに…でも、あれやな、

あの人が差し入れしてくれたから、ま、お茶でもええか!ってね、

不本意で飲んだとてスッキリしたら、それはもう、100円やないねん!

うーん…なんか、うまく言葉にできないが、コロナが落ち着き、

プレゼントや贈与なんてのが頻繁に行われることで

お金の価値ってのが、また見直される機会になるんちゃうかな…

なんてことを、祭囃子を聞きながら考えさせられる。

家に帰り、テーブルに目をやると、変な湯呑みが増えている。

「今度は名前入りや。修学旅行で作ってんて」と妻が言う。

次男と同様、センスのかけらも感じないし、

みんなこの形なんか、なんで?のクソ重い湯呑み三男坊作である。

この湯呑みを100円で売っても誰も買わないだろう。

ただ、1000000円だったとしても誰にも売らないだろう。

完全無欠のプライスレス。

大事にしようと思う。

2022/10/06

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  1. ヤッホー!もとちゃん…こんなのでも良いですか? より

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