自分の人生。

50歳になった時、今や100年時代とか言われ

人生の折り返し地点や…っていろいろ考えるところはあったが、

先日、51歳になって思った。

去年は、ちょっと極端な考え方やったなぁ…と反省ではじまる。

えっ、ええの?自分の人生は1回限りやで…

いや、昨年はね、こんな感じで焦りみたいなもんまであって

「何かしなきゃ…何かしなきゃ…」なんてそう思ってた。

で、今年にいたっては、ちょっと落ち着こやないかと。

ええ、この一年で何があってん?なんだけど、いや、それがね、

慌ててた感が凄くって、思い通りにいかず、イライラが募る毎日。

そもそもね、そない思い通りになるかいな!

っていうか、無理にしたところでどないやねん!なのだ。

まずね、50歳になったから…という動機・目的が良くない。

仕事の本質といえば、養老孟子さん風に言うと

目の前の穴を埋めるってこと。

穴があったら困る人がおるやろ、ほな、埋めよう!である。

自分のしたいことが先であってはならない。

誰かの求められるものが先やないと…。

自己中にもほどがあるってもんだ。

うーん、で、また、自分の人生って…

このブログで何度も綴っているが、

「自分」の定義を考えさせられる。

なんやろう?自分の…とか言いつつ、

己のことは結構どうだってよかったりする。

腑に落ちる感がハンパやない私が思う「自分」の定義とは

自は「我・己・個人・個性…」といった意味で

分は「何かの一部分」って意味なのが合体して自分と。

つまり、自分とは個人であって個人やない…みたいな。

会社の代表だったり、家族の大黒柱だったりするから

己のことよりも何かの一部分であることを優先してて

それだと「じゃあ、自分のことは?」ってなるんだけど、

いや、どうやらそれが自分というか…あるようでない…

んっ?あれっ、なんか、ややこしいなぁ。

ま、とにかく、50歳の私と51歳の私は大きく違う。

人生観が変ったのかというと、別に同じ私なわけで、

変わるわ…けが…な…いや、変わった、変わった。

えーっとね、猫が思てた100億倍かわいい。

そんな何を考えているのかわからない猫に問う。

「おいっ、おまえの人生…ちゃうわ、猫生はどないや?」と。

鼻と鼻が触れ合うぐらい猫の顔の真ん前で話はじめるヤバい私。

「あのな、おまえも家族の一部分や。だから、煩わしいかもしれん…

せやけどな、俺と関わることで自分の重みを感じるっつうか…」

一生懸命レクチャーする私を尻目に

大きなあくびをし、平気で主人に尻を向け、トコトコどこかへ…。

なるほど、猫に念仏である。

しかし、エサなど与えてばっかりと思いきや

実は、逆に豊かな人生を与えてくれる不思議や存在だ、猫って。

うーん、もう、自分の人生を猫なしで考えられへん…。

2025/04/08

  • Share on Facebook

この記事にコメントする

ブログトップへ

Recent Comments

  1. ヤッホー!もとちゃん…こんなのでも良いですか? より

Archives

Powered by WordPress, WP Theme designed by WSC Project. ログイン