祈り。

またまたブログの更新が遅れてきた…。

理由は他でもない、母校の卒業式で祝辞…。

えげつなかった3年間を乗り越えてきた子供たちへ

どうにか心に残るものをと、原稿づくりに練習に忙しかったのだ。

もちろん、目を見て彼たちへ伝えたいわけだから

紙を見てしゃべるやつじゃなく、暗記するパターンで挑む。

仕事を終えた後に声出して…

車を運転している時に声出して…

何度も何度も本番で間違えない様に練習に明け暮れる。

で、当日、まあね、な、なんとかやりきった。

彼らに伝わったのだろうか?

まず間違いなく、すっかり忘れているだろう。

PTA会長の祝辞など、誰が覚えてんねん!である。

それじゃあ、適当にやればいいのではないか?ってなる。

だって、覚えてないんだから…。

いや、まあ、その、覚えてて欲しくて練習してきたわけではない。

では、なぜ、そこまでして練習してきたのかというと、

自分が小学校の時に誰かが同じようにしてくれたんやな…と

時空を超えて恩恵を受け取ったからである。

この立場にならないと、もしかしたら、気づかなかったかもしれない。

PTA活動に参加させていただいて

何がよかったかというと、まさにこれだ。

小学校の時に大きなケガをしなかったのは

誰かがケガをしないように気をつけてくれたからやろな…とか

小学校の登下校で一度も事故にあわなかったのは

誰かが安全を見守ってくれたんちゃうんかな…とか

活動していると、送り主不明の贈与をめちゃくちゃ受け取るわけ。

で、受け取っちゃうと、なんだってやってあげよう!ってなるのね。

よく「いつか返ってくるから、良いことをしよう」

なんてのがあるけど、これは貰う前提での行動だか…ら…なるほど!

つまり、人間っていうのは、まずは貰わなきゃできないのだ。

親子の間でも「無償の愛」なんてのがあるけど、

いやいや…やっぱり、その もひとつ上の親から実は貰っている。

貰わなきゃできない…っつうと、なんか嫌なやつみたいだけど、

貰っていることに気づいていないだけのこと。

だいたい、私もPTAに参加しなければ、

こんなに貰ってたんやな…って気づかなかったし。

そう考えると、気づいてないだけで

あれもこれもとヤバいぐらい貰っていることになる。

道にゴミが落ちてないのも

誰かが掃除して拾ってくれているのでは…。

その誰かってのは、「街が少しでもキレイになれば…」なんて

「祈り」のなかで送り主不明の贈与を提供されているのだ、たぶん。

うーん、卒業生のなかのたったひとりでもいい

何十年後に「誰かがしてくれたんやな」って気づいてくれたら…

そんな「祈り」のなかでお祝いの言葉を送らせていただいた。

とはいえ、私はそこまで人間できていないから、綴っておこう。

ワシや、ワシ!あん時の祝辞はワシが言うたんやで!

届くとええなぁ…。

なにわともあれ、後輩諸君、卒業おめでとう!

2023/03/20

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  1. ヤッホー!もとちゃん…こんなのでも良いですか? より

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