堺のHINODEYAなう。
「500円入ったわ…」
そう、知人が前澤さんからお金を受け取ったという。
いろんな意見があるようだが、宇宙から贈ったりとか…
ま、なんにせよ、前澤さん、スゲーな…である。
で、この贈与なんだけど、以前に貰った人しかできないそうだ。
※前澤さんの感覚は、私みたいな凡人にはちょっとわからないが…
今の世の中は、ほとんどが交換である。
モノやサービスとお金の交換みたいに…。
もっというと、親切にされたら「ありがとう」のお礼と交換もそれにあたる。
ってことは、上記の貰った人しかできない…っつう「贈与」も
ある意味交換になるのでは?
なるほど…親は子に対して「見返り」を求めないとかいうけど、
それは、すでに自分の親から「無償の愛」を貰っているからこそ…
いや、繋ぐというべきか…うーん、ま、交換っちゃあ交換かな…。
こんな話もある。
認知症のお母さんが夕方の4時ぐらいに必ず徘徊して
どれだけ制止しても、振り払って意地でも出かけるらしく
面倒を見る息子さんがほとほと困っていた。
専門の人に相談すると、
「もしかしたら、幼稚園のお迎えにいこうとしているのではないか?」と。
で、今日のお迎えは必要ないです的な用紙を作って見せると
徘徊しなくなり、すべては息子さん本人の為だったことを知る。
そこで、数十年前の贈与が時空を超えて息子さんへ届くことになり、
貰ってたことを実感すると、献身的なサポートができた…みたいな、ねっ。
うーん…、貰ったから贈れるとか「贈与」を交換的な感じで綴りながら
なんか違和感を感じるのは、そう、「贈与」は贈り主が交換を要求していないのだ。
なので、贈り主不明にしてこそ、はじめて「贈与」といえる。
そうなんです!その究極が、サンタさん。
親が子にプレゼントを用意したとき
子が「じゃあ、いい子になろう」ってなれば交換になっちゃう。
「いらん、いらん、そんなん、いらんねん!返していらんねん」
親はただただ純粋にプレゼントを渡したいだけなのに…どうしたら…
あっ、そうや!別の人間を用意して、そいつが渡したらええんや!
そうすれば、親へ返そうとしなくなって交換じゃなく「贈与」になるやん!
それがサンタの起源…たぶん…いや、知らんけど。
サンタの話へ持っていくのにいろいろ綴ったわけだが、
ま、サンタは置いといて、我々は送り主不明の贈与のなかで生きている。
街にゴミが落ちてないのは、知らない誰かが掃除してくれているから…とか。
その掃除してる人は、お金とかお礼とかの交換を一切求めずに
「ちょっとでも街がキレイになれば…」なんていう祈りね、祈り。
くー、かっけー…である。
「世界は贈与でできている」
この本は良本なので是非読んでいただきたい。
私も、腐るほどたくさんの贈与をもらってるので
次の者へしっかりと贈っていきたいと思う。
今日は12月24日。
ちょっと休憩してから、世界中の子供たちのもとへ。
メリークリスマス。
2021/12/24