プライスレス。
羽衣店の前にだんじりの車庫?ってのがあって
毎晩のように地域の方々が集まり、まさにお祭り騒ぎってやつ。
そう、お祭りが3年ぶりにやっと開催されるそうだ。
いや、もうね、若い子たちのエネルギーが爆発している。
太鼓と笛の音にのせて「そうりゃ!そうりゃ!」と声が響きわたる。
うーん、やっぱり、いいもんである。
で、まあ、コロナ禍でよく耳にした「経済を回す」ってのがあって
お祭りってのは、なんつうの、お金が動いてるのがよくわかる。
うちのお店にもビールやジュースを買いに来られるのだ。
いや、まあ、その、売れるから良い!と言ってるのではなく、
お金の向こう側に「人」が見えるから、なんかね、気持ちいいのね。
この長いコロナ禍でお金の価値ってのを考えさせられた。
例えば、さっきも綴ったけど、ジュースが売れた場合。
コロナ禍の時であれば、だいたいは自分のために購入される。
人と接する機会がないため、ま、そうなっちゃうんだけど、
ジュースが100円であれば、等価交換のため100円は100円だ。
で、このお祭り時に購入される場合、もちろん、自分のためもあるけど、
先輩が後輩に奢ってあげてたり、
おばちゃん達が差し入れしてあげてたり、
お金の向こうに「人」が見え隠れすると、同じ100円なんだけど、
なんかね、100円じゃなくてもっと大きな価値があるように感じる。
だから、「100円渡すから好きなジュースを自分で買ってこい」的なね、
合理的みたいな効率とかを考慮してほしくないなぁ…って思っちゃう。
時には「カルピス飲みたかったのに、お茶かい…」ってこともあるだろう。
でも、ええやん!そのお茶には人の想いが入ってんねん!
わざわざ言いにいくことはしないが、「届け、その想い!」である。
んっ?いらんもんを貰うよりも、お金で貰った方が…って?
いや、そうやねん!ホント、自分で選んだ方が良かったりすんねんけど、
100円は100円でそれ以上もそれ以下もないねん!100円やねん。
ほんまはカルピスがええのに…でも、あれやな、
あの人が差し入れしてくれたから、ま、お茶でもええか!ってね、
不本意で飲んだとてスッキリしたら、それはもう、100円やないねん!
うーん…なんか、うまく言葉にできないが、コロナが落ち着き、
プレゼントや贈与なんてのが頻繁に行われることで
お金の価値ってのが、また見直される機会になるんちゃうかな…
なんてことを、祭囃子を聞きながら考えさせられる。
家に帰り、テーブルに目をやると、変な湯呑みが増えている。
「今度は名前入りや。修学旅行で作ってんて」と妻が言う。
次男と同様、センスのかけらも感じないし、
みんなこの形なんか、なんで?のクソ重い湯呑み三男坊作である。
この湯呑みを100円で売っても誰も買わないだろう。
ただ、1000000円だったとしても誰にも売らないだろう。
完全無欠のプライスレス。
大事にしようと思う。
2022/10/06
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