る。

なんつっても、日本全国「お盆」である。

今の私の存在っつうのはご先祖さまのおかげでしかないわけだから

まあ、お墓参りとかして「おじい」なんかへ感謝を忘れずに!である。

でね、その私の存在なんだけど、薄いのね、最近、なんかサブ的な存在っつうか…。

誰かから声をかけられる時、「あきちゃんのお父さんや!」とか

「奥さんにはお世話になってます」とか、仕事でもそうなんだけど、

肩書きがついてまわるっつうか、父だったり、旦那さんだったり…。

昔の友人なんかと会えば、「ただの僕」に戻れるんだけど、

そんなことはごく稀で、日常のほとんどはそうではなく、なんか着飾ったり、演じたり。

心のどこかで、このままではアイデンティティーを失うのでは…、なんて危機感も。

だって、「僕は僕だ!」と証明するがごとく、会社帰りの車中では、知らず知らずのうちに

♪僕~が僕~であるために~なんて尾崎なんかを熱唱しちゃったりしているのだ。

そんな中、唯一「だだの僕」になれる時間を見つけた。

剣道をしている時だ。

何も考えず、一心不乱に剣を振りまわすただのサムライになれる。

そして、これだけ暑いと、「アカン、休憩しよ…」なんて自分に負けそうになるんだけど、

それに打ち勝ち、最後までやりきって正面に礼をした瞬間の爽快感はたまらない。

心が折れそうになった弱い僕を乗り越え、新しい強くなった僕がそこにいる。

母校である体育館から一歩外に出ると、暑いながらも時折吹く風がスゲー心地いい。

「俺はやったで…、あんま寝てないのにやったで…」なんて感傷にひたってるところへ

私と剣を交えればボッコボコにされるのでは…と逃げ回っていた自分に弱い息子が

「お父さん!そういえばや…」なんて、さっきまで死にそうな顔してたくせに

”はぁぁ…終わった終わった”と言わんばかりにあっけらかんと近寄ってくる。

ほんま、どつきまわしたろか!ってのを抑え、「なんや?」と。

「あれ、お父さんが作ったんやろ。どれやったっけ?」

怒られるのが嫌で関係ない話持ちかけやがって…なんて思いながら

息子が指さす方へ目をやると

お~、こんなとこに僕がおったやないかい!なんて懐かしんだ。

「”る”や、”る”!未来に伸びるの”る”や」である。

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「どや?ええ”る”やろ。小学校6年のかわいらしい時や」

間違いない。

”る”を彫ったのは僕である。

そう、その”る”は私の存在を強烈に表現していた。

2015/08/12

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  1. ヤッホー!もとちゃん…こんなのでも良いですか? より

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